音に駆ける#6 ✕ 北村明日人 

音に駆ける」をテーマに、クラシック奏者へ過去・現在・未来をお聞きする記事企画。第6弾は、来る2023年8月7日、ピティナ特級(日本最大級のピアノコンクール)グランプリ獲得1周年の節目の公演を控えているピアニストの北村明日人さん。

公演1か月前を控えた今、これまでの軌跡と、公演に向けての心境をお聞きしました。ピアノ業界ではレジェンド的な特級グランプリという栄誉を持ちながらも、室内楽、伴奏や指導など、ジャンルレスに飛び回る北村明日人さん。

ピティナからはこの1年、「古典派・ドイツ音楽をとくに得意とし、愛情深く表現するかた」「丸の内コンサートなどですぐれた共演者として活躍」というお姿が発信されてきました。

コンペティション参加時から一貫して、これまでの「グランプリ像」とは一線を画すようなキャラクターである明日人さんの、音楽以外も含めた素顔に迫ります。

今回は特に、グランプリ受賞1周年を控えて、東京でのソロリサイタル(7/9)を終えた直後の心境、軽井沢でのリサイタルへの意気込み、その後の展望についてもお伺いしていきます。

北村明日人| 神戸市出身。第46回ピティナ・ピアノコンペティション特級グランプリ。併せて聴衆賞、文部科学大臣賞、スタインウェイ賞を受賞。第17回東京音楽コンクールピアノ部門第2位。第9回ショパン国際ピアノコンクール in Asia アジア大会金賞。第1回若い音楽家のためのシューマン国際ピアノコンクール(ドイツ)第2位。Rahn Musikpreis(スイス)にて第1位。Bruno-Frey-Stiftung(ドイツ)奨学生に選出される。 Pascal Devoyon, Claudius Tanski, Clive Brown, Richard Goode,Nicolas Hodges各氏のマスタークラスを受講。東京フィルハーモニー交響楽団、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、大阪交響楽団、チューリヒアカデミー室内管弦楽団、ライゼ・カンマー・オーケストラ等と共演。 東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校を経てチューリヒ芸術大学音楽学部及び大学院ソリストディプロマ(スイス)卒業。東京芸術大学大学院音楽研究科修士課程を修了。修了時に大学院アカンサス音楽賞、藝大クラヴィーア賞を受賞。伊藤恵、Eckart Heiligers各氏に師事。

特級グランプリから1年を迎えて

― 今日は東京・赤羽でのソロリサイタルお疲れ様でした。演奏直後のお疲れのところですが、今日のリサイタルはいかがでしたか。

ありがとうございました。今日はモーツァルトサロンというアットホームな会場で、客席は舞台を囲むように「コの字型」に配置されており、お客様もお子さまから地元のかたまで、幅広い層にお越しいただけたと思います。演奏は、いつもどおり自分の偏愛するベートーヴェン・ブラームスの良さをお届けできたかなと。

 -ブラームスで鳥肌が立った、という声も聞こえてきました

 自分自身がほんとうに作品のすばらしさに感動して、また舞台と演奏を楽しむこと、それを大切にしているので、その結果としてそのように感じていただけたなら嬉しい限りです。

― 特級グランプリから1年が経ちますが、特級に出場しようと思われたきっかけは何だったのでしょうか。

ずっと伴奏ピアニストになりたい、なりたいと思っていて、でもそのことを世間に知っていただく機会がなかなかなく。コンクールの中でも、「伴奏ピアニストとしての顔があります」「ソロではドイツ物を集中してやる人なんです」といった自分のキャラクター性を知名度として一番リーチできると考えたのがピティナだったんです。

そして、ファイナルでコンチェルトを弾けることが何より魅力で。サントリーホールで演奏できる4人のファイナリストに選ばれたんですが、もうその時には「よっしゃ」と思っていました。

グランプリになろう、とは全く思っていませんでした。というのも、その直前の1年間はほんとうにスランプの年で、行き詰っていたので。

― そんな時期だったのですか?準備万端のように見えました。

コンクールって一番精神的な修行ができる期間なんですよ。セミファイナルは本当に運命かけていたというか、精神的に大変な日々でした。2021年は本当に自分にとって不振の年というか、全然うまくいかない年だったんです。東京で院の1年生をしていたんですがスランプに入って入って。なんで弾いてるんだろう、という感じが嫌で何とか脱したいと思っていたんです。

2次予選がコンクールで初めての公開演奏(※1次予選は動画審査)だったんですが、スランプの時期と同じことがまた起こってしまったらどうしよう、と心によぎると不安で。スランプに陥っていた時、その不安をステージに持ち出してしまっていて、まったく腹をくくらずに出て行ってしまっていて。

そうして不安を見せることは、なによりも「作曲家にとって」一番の不敬だ、ということを師事している伊藤恵先生からもご指導を受けました。そうではなくてある程度あきらめをつけながらステージに出ることを学んだのです。「自分、もうここでやることないねんから、出て行って弾けばええねん」と。

― 特級での演奏を拝聴していて、全ラウンドを通じて自由にのびのびと羽ばたくような音楽がとても印象的でした。さらにファイナルのコンチェルトではオーケストラと呼応しあいながら、即興的に音楽を構築していく姿が忘れられません。

コンチェルトで一番感じるのは、自分ひとりがどれだけ頑張ったところで、オーケストラの何十人を動かすことはできないということです。力ずくでやっても無理なものを、まださらに力をもって制圧するか。ということを思って。

オーケストラの人たちが何を見てるかというと、自分の音楽がどう進むかを見ている。もう音楽はそこにあるわけだから、乗るだけでいい。これもまた一つのあきらめというか。自分の音楽が好きで、それを紹介したいです。それをオケの人たちに見せる。この行為だけでもう完結しているというか、それ以外には要らないって気づきました。

― あのコンチェルトはそういった瞬間にあふれていたステージだったと思います。

 コンクールというとどうしても本番の日が迫ってくるけど、そこに合わせに行くのではなくて。自分がたまたまその日にその音楽を演奏しただけだ、これからもその曲を弾き続けるだろうし、という心がまえで臨んでいましたね。

 2次予選からの日々は、自分の音楽がどうなっていくかというよりも、自分が音楽家としてどう在るべきかという点をすごく試行錯誤した3週間でしたね。

「伴奏ピアニスト」としての活動が楽しい

― 特級グランプリに輝いてから1年。1年間は思ったように活動をできましたか?

 はい、ピティナさんのバックアップもあって、想像以上のことをさせていただけました。自分は「ソロピアニスト」と「伴奏ピアニスト」の活動のふたつを、はっきりと分けていて、どちらも大切にしています。それに加えて、弦楽器を中心に、子どもたちとの共演という要素も含め、いろいろな機会で「伴奏ピアニスト」としての活動の幅を広げられたことが1年間の収穫でした。

 ピティナだけではなく、所属している宝塚市の「ひばり音楽教室」でも、子どもたちへの教育という面で貢献することができています。音楽教室の生徒は実はほとんどが弦楽器(ヴァイオリン、チェロ)の子どもたちなんですよ。彼らの伴奏としてレッスンや発表会などに参加するわけですが、そこでは単に合わせるだけではなくて、積極的に子どもたちに問いかけたり、アドバイスをしています。

質の良い伴奏だけでなく、ピアニストの視点からの言葉かけや指導というものが子どもたちの音楽体験に大いに役立つのだと、感じているところです。

― ソロのコンクールで優勝したわけだから、伴奏というと、どうしてもソロのおまけのように捉えられてしまいますよね。子どもたちへの指導役というポジションは、オペラのコレペティのようでもあり、ここを極めると明日人さんにしかできない独自の職業になりそうですよね。明日人さんにとって、伴奏の魅力って何ですか?

ソロって、作品と向き合って練り上げて練り上げて、という行為で自分と作曲家のやりとりが中心なんですけど、それを何年も自分の中だけで練っていくってすごい怖いことやと思うんですよね。自分の考えが間違っていても直す人がいないという怖さもあって、誰かと共演することでそこが修正できるというのがすごく良くて。

もう一つは指導という面がありますが、子どもたちが大きくなって音楽家になりたいと考えたときに、弦楽器からの視点しかない状態じゃなくて、ピアニストからの視点を含めて成長していってもらえることにすごく指導者としての面白さを感じているんです。

― なかなかそこにたどり着く人って珍しいと思うんですが。

まあ、伴奏自体は高校生から始めていたんですけど、チューリッヒに留学した時に、とらなきゃいけない単位を全部室内楽でとったんですよね。今準備できてるレパートリーは弦楽器が多くて、このころの経験もとても活きています。

― 伴奏についてのご自身のポリシーみたいなものってありますか。

これはもう一貫して心がけてることは、「ソリストのためではない」ということ。

― え、ソリストのために伴奏するんじゃないのですか。

もちろんソリストがいないと成立しない。でも、ソロと一緒でソリストのためではなく作曲家のためであるということ。

僕がたまたまピアノという伴奏という名前の声部を担当しているだけで、それを作ったのはベートーヴェンであり、ブラームスであり。その作曲家を見てやるよ、というのはぶれないです。自分勝手な意見ではなく、ベートーヴェンはこう思ってると思うよ、というその解説をできる立場としての伴奏者にすごくやりがいを感じてるんです。

子どもたちとの共演でもそう。お母さんがたどたどしくも頑張って伴奏を合わせてきた、それがこの曲だ!と思っている子どもたちが本当に多くって。それにちょっとびっくりしたんですよ。そこで伴奏ってまだまだやれることがあるな、って気づいたのですよ。

― 伴奏をしていると、どこまでソリストに言っていいのかな、と葛藤することも私は多いのですが、そのあたりの塩梅はどうですか。

でも、僕は言うなぁ(笑)。楽譜に明確に書かれてることがあるのなら、ソリストよりも絶対正しいことをしてるってのは確かなので。

― 今トリオなどのグループで定期的に組んでらっしゃる方はいないとのことですが、共演者に求めるものというと、どんなことですか。

自分というものを持っていながら柔軟性のある人。受け入れる器の大きい人がいいですね。何が起こってもいったんは受け入れる。こう来たらこう返すという一連の流れが自然にできる人をいちばん求めますね。

― 自分の中で完成形があってそれをなぞろうとする人って一番大変ですよね。

リハーサルをリハーサルとして完結してくれる人って一番よくて。リハーサルでやったことを本番にそのまま持っていこうとされると覚えていられないんですよね。

リハーサルで楽しかった、ありがとう、それで終われるのが最高で。再現を全くしない人、即興を楽しめる人、それが一番です。

― 実際に初めて見た曲を作っていくときって、どんな風に組み立てていくんですか。明日人さんの頭の中を見てみたい!

それがどんな曲かもある程度知ってる前提ですが、初めて楽譜を見て、僕の頭の中にある解像度がそんなに高くないぼやっとしたものと、実際の精密な楽譜を照らし合わせて、その差を感じたい。「なんや、こここんないいこと書いてるやん!これ知らんかったんや自分。」みたいな。

その時見た楽譜にまず驚きたい。それでさらに深めていったときに、最初には気づかなかった発見をどんどんしていきたい。例えばこの音程の差がええやん、とか。

― では、ほかの演奏者の音源やCDはあまり聞かずに?

いやいや、そんなことはなくてめっちゃ聴く。それこそピアニストではなくて、アマチュアの人がYouTube載せてます、みたいなやつも聴いたりとか。いろいろな表現を知ることで、曲についての自分の「作品を視る力」を養えるのですよ。

さらには歴史的な視点も自然と取り入れていて。自分は留学中に実際にその場に行けたということがすごく大きかったですね。ウィーンとフィレンツェはこんなに違うんだとか、バッハとヴィヴァルディは同じような時代だけど生活していた場所でこれほど音楽が違ってくるのだとか。

今後の展望について

― 今日は久しぶりにベートーヴェンを聴かせていただきましたが、明日人さんがベートーヴェンソナタを何回かに分けてやるのは面白いなあと思って。

それができるように毎回のコンサートのプログラムを組んでいて、いつかは1~32番までいけるんじゃないかなと思っています。そんなことがのびのび考えられるのも、グランプリをいただいてから自分のやりたいプログラムで演奏会ができるようになってからのことで、有難いことなのです。

― 横山幸雄さんなんかは全曲演奏会されてますね。明日人さん、体力もありそうですし。

やれと言われたらやるけど、やってる間に「何してくれてんねん!」という反抗心が出てきそうで(笑)。まだそこまで大人じゃないんですよ。

― なるほど(笑)。直近8月7日は軽井沢大賀ホールでのリサイタルということですが、見どころ・聴きどころとしてはどこでしょうか。

正直、いつも通りの北村明日人です!いつも僕がやりたいと思っていることを、そしてこの1年間のまとめのような公演を、軽井沢でやってますので、見に来てくれて喜んでくれたらうれしいです。

と言って、そこで終わってしまうともったいないのでもう少し補足すると。

プログラムとしては、第1部が小品を集めていて、「子ども」をテーマとして、シューマンの子供の情景と、ドビュッシーの子供の領分。そしてバッハが息子のために書いたといわれているパルティータ1番を彩りよく並べて演奏します。

第2部はベートーヴェンのワルトシュタインのソナタ一択!ということで真剣勝負を見に来ていただけるとありがたい。第1部と2部で少し空気を変えられたらなとも思っています。

軽井沢大賀ホールで先日リハーサルをしてきましたが、ピアノもホールも本当に素晴らしい場所です。演奏は僕ひとりでのソロリサイタルにはなりますが、実はその合間にいろいろな仕掛けがありまして。子どもたちや先生が出てきたりとか、ほかにもサプライズが待ってます。

演奏会としてもすごく面白くなると思います。北陸新幹線に乗れば東京から1時間ですので、夏の避暑地としても最適です。ぜひ、軽井沢まで足をお運びくださいませ!軽井沢大賀ホールにて皆様をお待ちしています。

本荘悠亜 | 1995年生まれ。ピアニスト 有限会社ルミアデスソリューション音楽ディレクター
東京大学文学部美学芸術学専修(音楽学)を卒業後、3年の会社員生活を経て、桐朋学園大学院大学音楽研究科演奏研究専攻ピアノ科修士修了。音楽教育家・ピアノ指導者としても活動中。

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