音に駆ける×宮原唯奈(ソプラノ)

「音に駆ける」をテーマに、クラシック奏者へ過去・現在・未来をお聞きする記事企画。第7回は、ソプラノ歌手の宮原唯奈さん。
リサイタルを控えた今、改めてこれまでの歩みと将来の展望についてお伺いしました。
名刺がわりになる記事。というコンセプトで、宮原さんの人物像、そして大学院での研究内容についても深掘りしていきます。

宮原唯奈 熊谷市出身。東京藝術大学音楽学部声楽科を経て、現在同大学院音楽研究科声楽専攻に在学中。学部卒業時に同声会賞、及び佐々木成子賞受賞。二期会オペラ研修所本科修了、成績優秀者として二期会オペラ研修所演奏会に出演、奨励賞受賞。東京藝術大学バッハカンタータクラブ所属。これまでに声楽を萩原みか、平松英子、大西宇宙、櫻田亮の各氏に師事。来春、東京藝術大学奏楽堂モーニング・コンサートにて藝大フィルハーモニア管弦楽団と共演予定。将来の夢はヨーロッパの歌劇場やサロン、教会で演奏すること。

声楽家として生きる

–こんにちは。本日はソプラノ歌手の宮原唯奈さんです。

宮原唯奈と申します。本日はよろしくお願いいたします。

–簡単な自己紹介をいただいてもよろしいでしょうか。

埼玉県の熊谷市という暑い市に生まれ育ち、高校から埼玉県立大宮光陵高等学校の音楽科に、声楽専攻として入学しました。その後東京藝大に入学して、今は大学院2年生です。

音楽とともに歩み、声楽を始めるまで

–最初の音楽との接点は、どんな感じですか。

2〜3歳ぐらいからピアノを結構がっつりやってたんです。音楽との距離はすごいずっと近くて。音楽とともに歩んできた人生ですね。

–音楽は最初からずっと、 大好きって感じなんですか。

もう好きでも嫌いでもない(笑)。

–わかるわかる。呼吸の一部みたいな感じ。

もう体に入っちゃってるので。音楽自体を好いている、嫌っているではないですね。ベースとして音楽がずっとある。歯磨きぐらいの感じですかね。

–わかります。
歌はいつ頃始められたのでしょうか。

14〜15歳。中学3年生くらいからスタートして。

–それは何かの影響とか、憧れがあったりとか?

ピアノが嫌になっちゃって。そこで、その時習っていた先生に、私、宇多田ヒカルになりたいんですって言ったんです。

–ほう、宇多田ヒカル。

1998年、私が生まれた年にデビューしてるんですけど。宇多田ヒカルになりたいって先生に言ったら、方向性的には声楽の方が近いんじゃない?ってくだりになって。萩原みか先生という熊谷のスターソプラノ歌手の元で研鑽を積むことに。

–始めて1年足らずで音楽科に合格したわけですね。それまでの積み重ねがあったからですよね、きっと。

譜読みとかソルフェージュは、ピアノをやってたので、そんなに苦労はしなかったと思います。合唱自体は8歳とかからやってましたね。

–その頃、将来歌手になろうみたいなのはなかったんですか。

小学生の頃から私うまいかも!って思いながら歌ってましたね(笑)。

–やっぱりありますよね。溢れ出る才能が私を気づかせてしまうみたいな(笑)。

そのまま中学校でも、うまいかも!歌始めたらいいかも!って、始めちゃいました。

–ピアノは逆に劣等感があった感じなんですか。

人並みに弾けるなあって思ってたんですけど、ピアノってどうしても練習時間が…。

–やり込み体質じゃないと、きつい部分がありますよね。でも、手が大きいんでしょ、聞くところによると(笑)。

(手の大きさを比べる)

やばいですよね。全指が負けたって感じです(笑)。

ごめんなさい、恵まれちゃって(笑)。

発声という壁

–順風満帆な経歴のように思いますが、歌を始めて苦労したことはありますか。

学部 2、3年生ぐらいの時は発声で困ってましたね。お客さんからお金いただける声じゃなくて。授業の時も一生懸命歌ってるのに、先生に、風邪ひいてる?とか、喉調子悪い?とか言われたりして。音量ってすごい大事な要素の1つだと思うんですよ。

いろんなものが正しい状態で、やっといい状態の発声になるので、そこが大変でした。発声のせいでやりたいことを形にできないのが、もどかしかったですね。

–喉のコンディションの調整も大変そうですが、声楽家として生きる上で、制約などはあるのでしょうか。

まずはアルコールですね。アルコールを飲んだ後に歌いまくると、次の日に声帯のコントロールがうまくいかないので、アルコールの扱いには気をつけてます。

–時にはペースメーカーになることもあるのかな。ちなみにひと月30日のうち歌う日、歌わない日はどれくらいありますか。

完全に歌わない日はあまりないかな。25日ぐらいは何かしら声を出してます。

譜読みをしなきゃいけない曲があるので、その譜読みとかをしていますね。発声だけはあまりないかもしれない。。

–譜面をしっかり体に落とし込んでいく作業ですね。

本当にその通りで、体が曲に合うまで慣らす時間をすごいとってます。

–宮原さんが、今の演奏の軸としてるのはオペラなのでしょうか。

オペラも歌曲も、宗教曲も全部頑張っています。アンサンブルもやっていきたいです。

–合唱とオペラ、発声は違うんですか。

違うと思いますね。合唱の強豪校から藝大に入った人たちに聞くと、息を混ぜるんですって。合唱は。息を混ぜて、声を揃えることがすごい大事なので。学部生の時は合唱団に入ってたんですけど、どんなにp(ピアノ)にしても声が飛んじゃって、ちょっとデリカシーないよとか言われたことあります。

–飛んじゃうっていうのは、声量が通るってことですか。

そう。どんなにp(ピアノ)にしても、どうしても出ちゃうんで…。ソプラノは高いので、音が飛ぶんですよね。かなり変えないと、とは思います。

シェーンベルクの歌曲と出会って

–大学院での研究テーマは、どんなことでしょう。

後期ロマン派で、今研究してるのは、Arnold Schönberg(アルノルト・シェーンベルク)。

12音技法は皆さんご存知だと思うんですけど、それって、シェーンベルクの歴史だと結構後半なんですよね。その12音技法にフューチャーして研究してるわけじゃなくて。

前半、音楽をキャリアとしてスタートして、ワーグナーだとかいろんな芸術家のエッセンスをいただいて、そこが色濃く出ているところを研究しています。

–ピアノだと、シェーンベルクは『6つの小さなピアノ曲』とか、 12音技法の作品が取り沙汰されることが多いですね。声楽曲のレパートリーは(どの時代も)まんべんなくあるんですか。

どうだったかな。 25歳ぐらいから後半になってくると、皆さんご存じの『月に憑かれたピエロ』でSprechgesangとかが出てきて、喋ってるのと歌ってるのとの間だったりとか、色んなこと挑戦してますね、彼は。

–変遷のある作曲家ということですけど。なんでその前半の方に惹かれたんでしょうか。

調がある方が私は好きで。でも、彼のちょっと前衛的なエッセンスも含まれている。遥か先、何十年後かにこういうことをやるんだなっていう片鱗が、ちょっと見えるんですよ。

–作風が変わっていく作曲家って、そこが面白いですよね。ちなみに、シェーンベルクと出会ったのはいつ頃なんですか。

大学2年生の夏。バッハカンタータクラブの学生とOB・OGの方に向けたセミナーが毎年夏に下田で行われるんですけど、そこで素晴らしいピアニストの小林道夫先生の伴奏で、私がすごい尊敬している先輩ソプラノ歌手の方がこれを歌ってらして。その帰り道で銀座のヤマハに寄って譜面を買って、帰宅しました。即買いですね。

–それは、シェーンベルクがっていうよりか、その運命の1曲というか、その曲が素晴らしくてってことでしょうか。

あまりに美しくて。小林道夫先生がピアノ弾いてらしたってのもあるんですけど。本当にあまりに美しくて。

–その曲名は。

Op.2『4つの歌曲』。

–言葉で説明するのも野暮かもしれないですけど、どんな魅力なんですか。

4曲あるんですけど。1曲1曲キャラクター性が結構違うんですが「思い切って不気味」なんですよ。振れ幅が大きくて、すごい綺麗な曲もあれば、「死んだ葦の〜」みたいなホラー系もあったり。赤とか緑とか、色彩豊かで、ちょっと気持ち悪いけど、愛に溢れている感じがあって、いいなって。

–ポピュラーなレパートリーではないんですか、声楽家にとっては。

ところがOp.2ですから。初期の作品で調性ががっつりあるので、案外歌いますね。みんなってわけじゃないですけど、ドイツリートや後期ロマン派が好きな人だったら案外います。

–リサイタルに持ってくるとしたら。

1番最初に歌います。集中力がある状態で聴いた方が効果的。後半疲れてきた時だと、100%味わっていただけないかなと思うので。

–聞き流しても耳に留まる曲もあれば、対峙するのが必要な作品もあると思います。ぼくもぜひ聴いてみたいと思います。

リサイタルへの挑戦

–そんな矢先に、宮原さんの実演で聞ける機会があるそうな、ないそうな(笑)。

ありますよ!

–そこでもOp.2歌うんですよね。

そうです。これは余談なんですけど、リュッケルト歌曲集、これはマーラーなんですけど。これも私の尊敬するソプラノ歌手の方が小林道夫先生の伴奏で歌われてるのを聴いて、この時も下田から銀座のヤマハに寄って。

–1年越しに、思いを寄せたということですね。

宮原唯奈ソプラノリサイタル。

— 2023年11月11日(土)、マリーコンツェルト、板橋区中板橋のサロンホール、最近話題のホールですよね。「黄金の新時代に想いを寄せて」という副題の心は。

取り上げる曲と、作曲家たちがウィーンの方々で、ウィーンの世紀末といえば、黄金。エゴンシーレやクリムトの時代なんですけど、ちょうど1898年から1902年までに作曲された曲を集めて演奏するということで。これは黄金が見える!

フライヤーの絵なんですけど、実はシェーンベルクが描いたんですよ。

–黄金っていうのが伝わってきますね。
では聴きどころについてお伺いします。

メインは、やっぱりシェーンベルク。シェーンベルクが、 私とほぼ同い年の、25〜26歳の時に書いた楽曲を演奏するわけです。マーラーのリュッケルトリーダーとシェーンベルクの4つの歌曲は、後期ロマン派らしい作品なんです。

それからキャバレーソング、素敵な曲ですけど、これだけ実は、ベルリンのキャバレー劇場で使うために書かれた曲で。それで結構、色が違ってくるんですけれども、この差だったりとか。

実は、マーラーとシェーンベルクは相思相愛で、シェーンベルクが4つの歌曲を発表した際には、マーラーが1曲ごと拍手したっていう逸話がありまして。実際に1曲ごとやられたらちょっと困っちゃうんですけど(笑)。

そんな繋がりがある演奏会なので、この時代に想いを寄せて聴いていただけたらと思います。

–どっぷりあるところにフォーカスして聴ける演奏会もなかなか珍しいというか、いいですよね。ちなみにリサイタルは、個人的には2回目ですかね。1回目はいつされたんですか。

1回目は、2021年の3月だったかしら。

–その頃だと、コロナが大変でしたよね。

 2回目のリサイタル、どんな風に捉えてらっしゃいますか。

今回の演奏会は、ちょっと攻めた内容で。今の若い私だからこそできる演奏を皆さんにお届けできたらなと思っております。

将来に向けて

–プロフィール欄を拝見しておりましたら、将来の夢はヨーロッパの歌劇場や教会で演奏することと書かれておりました。 やっぱり海外進出でしょうか。

はい、夢見ております。

–ヨーロッパで歌いたいと思われたきっかけとか理由を教えてください。

実は、海外で歌いたいって思ったのが、3年ぐらい前の2020年、コロナ禍からなんです。 コロナ禍で、世界で活躍されてるオペラ歌手の皆様が、インスタライブをやってくださったり、相談に乗ってくださったり、オンラインレッスンしていただいたりってことがあって。その規模の皆様のお話や声を聴いていると、私もそこまで行きたいって思っちゃうんですよね、そこからです。

–具体的にはどの国か決まっているんですか。

ドイツ語圏。ヨーロッパだったら、色々行きたいと思ってるんですけども。あとは、アメリカとか。

–複数の国を股にかける働きかたは実際にあるのですか。

エージェント契約を各国で上手にすればできる。これは1番いいルートで、できるかどうかわかんないんですけど(笑)。1番の狙いは、留学して、あちらの大学院、できればドイツの歌劇場の研修所に入ること。これは大体28歳までに入らないといけないんです。

そこで研鑽を積んで、まずドイツの歌劇場に契約していただいて、ドイツで歌で食べていくっていうのをやりたいなと思ってます。

–1回契約すれば割と安泰にお仕事がもらえる感じなんですか。

聞いた話、そうでもないらしいんですよ。1年で契約更新があったりするらしいですよ。まあ、聞いた話なんですけど。

–日本で活動するのと、海外で活動するのの大きな違いっていうと何になるんですか。

なんでしょうかね(笑)。これまた聞いた話ですけど、日本に比べて演奏の機会が多いって話はありますね。いっぽう日本で活動すると、教えることをベースに作らないといけないのかなと、勝手に思っております。

–なるほど。できることなら自分が歌うことで生計を立てていきたい。

ところが案外教えるのも好きで。

–歌劇場の中では教えるポジションはないんですか。

それは声楽家がつくものでもないかもしれないですね。

–自立した1人の歌手として雇われるわけですね。

これから28歳までは、それに向けて修行の日々ですね。

激ヤバですね。あと3年しかないんですよ。ここからはノーミスでいかないと厳しい。26歳で藝大修了しようと思っていて、そこからどこか海外の大学院に。そのとき27歳ですか。更に在学中に研修所に入らないと。同時並行じゃないと間に合わない、年齢的に。

–直接向こうの研修所に応募するのは、無謀なんですかね。

無謀だって言われました。まず言語が喋れないでしょうって。喋れないし流れとかも全然わかってないじゃないって。

–3年。もうあっという間ですもんね。

おちおち寝てらんない。寝てるけど(笑)。

–今は稽古にコンクール、休む暇もなく語学勉強、みたいな日々ですか。

コンクール、今年いくつか挑戦させていただいて、それと平行して苦手な語学もちょっとずつ、ちょっとずつ頑張っております。

 11月に、語学の試験も控えておりまして。本当に頑張らないと。

魅力的な人柄の背景

–宮原さんはタレント性も豊かですけど、その前向きさはどこから来るんでしょうか。

実は前向きじゃなくて、すごい心が弱くて。弱い分、一周回って前向きにしないと、もう目も当てられない、見てらんない!って状態なので、外に出てる私は前向きそうに見えてるかもしれない。

–厳しい世界でやってくわけですから、嘆いてる暇もないみたいな感じでしょうか。

忙しい時は大丈夫なんですけどね。不安定な仕事で食べていこうとしてる人間なので、色々考えちゃうとダメですね。たまには、紙に書いちゃったり、そういう時間もいりますよね。

–宮原さんは周りを元気にする歌姫だと思いますけれどもね。

何も出ないよ(笑)。

リサイタル来場者へのメッセージ

–リサイタルに向けて、皆さんへメッセージお願いいたします。

歌曲という、自分が今大学で一生懸命学んでいる内容を、皆様に聴いていただけるということで、素晴らしいピアニストの角田貴子さん、 キャバレーソングで楽器隊の皆さん、たくさんの人に関わっていただけて、今回演奏会をさせていただくこととなりました。作曲家に対して私が持っている愛を皆様にお届けできたらなと思いますので、ぜひこれを見た全員に来ていただけると嬉しいなと思います。

–ありがとうございます。来場にはどうすればいいんでしょうか。

下のボタンからGoogleフォームに飛んでいただきまして、

簡単なお名前と枚数と、メールアドレスだけ登録していただき、当日、現金で3000円だけ握りしめて中板橋に降り立っていただければと思います。開場が19時、開演が19時半で、終演が21時15分ぐらいの予定となっております。

–ソプラノリサイタルで、パーカッションやピッコロ、トランペットも聴けるって、これまたなかなかない。

なかなかないですね。しかも今気づいちゃったんですけど、このシェーンベルクの2曲は、むしろメゾはよく歌うみたいな。

–移調はしないんですか。

しちゃダメよね。原キーでしっとりと。でも最後ははっちゃけたいと思います。

–宮原さんは歌ってらっしゃる時の表情が本当に豊かで、それも見に来てくださいね。

かわいいお顔を見に来てください(笑)。

–宮原さんの将来の飛翔をお祈りして、終わりにしたいと思います。ありがとうございました。

お待ちしています。ありがとうございました。

(聞き手・本荘悠亜)

WRITER PROFILE:阿部奏子

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