「第九」の呪いって何?年末に演奏される理由は?(前編)

そもそも第九って?

わざわざいまさら言うことでもないかもしれないが、
「第九」とは、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲の「交響曲第9番」のことである。

「交響曲」は基本的に、オーケストラで演奏するために作られた曲で、「第九」はそれに合唱を組み込んだことが最大の特色であると言われている。

第4楽章に含まれる合唱の歌詞の大部分を占めるのは、ワイマール(ドイツ)が誇る詩人のうちのひとり、フリードリヒ・シラーによる詩 “An die Freude”。

この「歓喜の歌」のメロディーは、老若男女、誰しもが聴き覚えのあることだろう。

第九の何がおもしろい?

9番目の交響曲を作った作曲家なんて、ほかにもたくさんいるじゃん。
どうしてベートーヴェンの交響曲だけが「第九」なの?

「そういうもの」と理解した今では忘れていても、かつてこんな疑問をもったことはないだろうか。

あまりに有名なのでこうなった、ということは言うまでもないが、この「ベートーヴェンの第9番」が有名になった経緯や、それにまつわるいくつかのエピソードをみていきたいと思う。

第九の評価、いまむかし

今でこそ、クラシック音楽に縁があってもなくても、多くの人が知るところの「第九」。
しかし、初演時の評価は酷いものだったという証言がある。

見慣れない合唱が交響曲に含まれているばかりか、そのおかげで奏者の動員数も相当多く、主催者からしたら頭が痛くなるほどの出費だったとか。
奏者からしても、慣れない技術を求められ、人の入れ替わりもあったと言われるほど。

かなりどたばたとした、イレギュラーな舞台であったことは想像に難くない。
ベートーヴェン自身も不満をこぼしていたとはよく言われており、納得のいくものではなかった様子。

さまざまな経緯が重なって、最初の演奏自体が素晴らしいものになったとも考えにくく、
その評判が広がれば、その後しばらく再演に人が集まりにくかったというのも納得だ。

そんな第九の評価を高めたのは、ワーグナーだと言われている。
ワーグナーは幼い頃からベートーヴェンの第九を気に入っており、機会を見つけては、発展した技術での第九再演を目論んでいたそう。

ワーグナーの目は確かだった。
多少の改訂を経て再演に漕ぎつけたのち、第九は稀代の傑作としての評価を受けるに至った。

作曲家の耳と頭

ワーグナーが「今の技術なら、第九をしっかり演奏できるはず!」と考えたのも、さすがとしか言いようがないが、
十分な演奏技術がないうちに第九を構想したベートーヴェンも、もしこれを見越していたのだとしたら、と想像せざるをえない。

ピアノソナタ「ハンマークラヴィーア」について語られる際に必ずと言っていいほど目にするのが、ベートーヴェンが「50年も経てば弾く人が出てくるだろう」という言葉とともに作曲したということ。

人間の手には不可能なのではないか、と思うほどの技術が必要なのもあるが、それ以前に、この曲には、作曲当時のピアノにはない音域が使われている。

50年後のピアノであればカバーするだろうと踏んでの作曲だったことが、ベートーヴェンの「先見の明」を語る上では不可欠なものになっているようだ。

ベートーヴェンの先見の明

ベートーヴェンは当てずっぽうに未来を予想したのだろうか?
それとも、一定の根拠をもとに想定したのだろうか?

常に新しい楽器を試すことに興味があったベートーヴェン。
ピアノ職人たちも、新しいバージョンのピアノができるとすぐにベートーヴェンの家に運び込んでおり、新しいもの好きのベートーヴェンは、新しいピアノがくるとすぐにそのメリットを活かした曲を作っていたという。

さながら、新しいデジタル製品が発売されるとすぐに購入してレビューを書く人、といったところだろうか。

そんなベートーヴェンだからこそ、50年後の楽器がどこまで進化するのか、感覚的につかむことができたのではないかと思う。

ピアノという楽器の目まぐるしい変遷に立ち会って生きたベートーヴェンは、
そのほかの楽器、ひいては音楽文化の将来に関しても、ある程度経験に基づいた予測ができたのかもしれない。

第九の呪いって何?

そんな第九を発端とする、「呪い」が存在するらしい。
呪いの対象者は交響曲を作るすべての作曲家で、呪いが発動するのは「第9番の交響曲」作曲前後だという。

すなわち、「交響曲第9番を完成させると死ぬ」というものだ。

ベートーヴェン以前には、もっと大量の交響曲を書いた作曲家がいたわけなので
(特に、みなさんご存知のハイドンは100を超える交響曲を作ったことで有名だ)、
ベートーヴェンが10番を完成させられなかったことが呪いの始まりだという。

整理がややこしい、マーラーの交響曲

これをひどく恐れたのはグスタフ・マーラーだというが、この類の噂がどこからともなく流れきて定着するように、音楽界には呪いの話がまことしやかに流れていたのだろう。

しばしば演奏されているのを目にするマーラーの作品、「大地の歌」は声楽を含む交響曲。
作曲順で数えると9番目に作られたものだそうだが、
マーラーはこれに交響曲としてのとおし番号をつけなかった。

もちろん、交響曲として以上に歌曲としての位置付けも重視したためというのが、番号をつけなかった理由の大きいところなのだろうけれど、
これは建前で、実のところは呪いをめちゃくちゃ恐れていたんじゃないだろうか。
……ということにすると、話が一気に面白くなる。

われわれがマーラー作品に足を踏み入れようとした時、しばしば
「8番と9番の間にあるこれは何?どういう立場?」という問題に陥るのは、元を辿れば呪いのせいなのかもしれない。

呪いは本物なのだろうか?

「大地の歌」の後もマーラーは第9番の交響曲を作曲し、第10番を手がける。
この第10番は未完に終わった。

曲数としては11曲目なのに、やはりジンクスからは逃れられないということだろうか。
……という解釈ができるので、「マーラーが第九の呪いを恐れた」という話は大人気なのだ。

他にも、9番目の交響曲を完成させたのちに亡くなった作曲家には、ブルックナー、ドヴォルザークなどがいるため、呪いが真実であると語られることは多い。

第九以降に生み出された交響曲が長大な傾向にあることや、
交響曲以外の演奏形態自体も増え、その作曲数も増えていったことも考え合わせると、
ひとりの作曲家が生涯に作る交響曲が10曲前後、もしくはそれ以下になるのも妥当なことだと考えられる。

しかし、作曲家たちが「第九の呪い」を知らなかったわけはない。

もし頭の片隅にある呪いの伝説が、潜在的に交響曲への作曲意欲をとどめさせていたら?
そのことこそが本当の「第九の呪い」なのかもしれない。

後編では……

最近、「第九」演奏会のお知らせをよく目にするようになってきたのではないだろうか。
本記事後編では、年末に第九が演奏されるようになった理由について調査する。

お財布問題や戦争、はたまた勘違い?さまざまな説が飛び交う「年末第九」の実態とは。

公開をお楽しみに。

(阿部奏子)

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